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Hunza

フンザ地方はパキスタンの首都イスラマバードから北にバスで20時間、周囲を7,000メートル級の峰々に囲まれた、標高約2,500メートルの地域で、現代に残る桃源郷とも呼ばれています。
フンザの古い時代の正確な歴史はわかっていません。カリマバードには13世紀に建てられた砦・王宮が残っていて、960年間同じ王家の支配が続いたといわれています。
英国による支配時代を越えて、1974年になると、パキスタン政府の方針により、すべての藩王制は廃止となってフンザ藩王国は幕を閉じました。
フンザ人の起源はイラン系の北方からの移住民だといわれます。アレクサンダー大王(紀元前356~323)が率いた遠征軍の末裔だという説もありますが、真偽は定かではありません。
カリマバードやアーリアバードの村を歩くと、色白で青い目、茶髪に、すっきりと鼻梁の整った風貌の人々に出会うことがあります。フンザの住民の多くは、古くから東西の交易路を往来した民族の、複雑な混血を重ねた結果であることは確かです。フンザ地域ではアーリア系やモンゴル系をはじめ、骨格、肌や頭髪の色の違いなど、じつに多様な顔を見ることができます。

フンザとアンズ
フンザはアンズの栽培が盛んです。白や薄紅色の花が咲き誇る4月は、日本の桜の季節に似ています。
杏は急斜面に丁寧に作られた石垣と、そこに作られた小さな耕地に植えられています。それはフンザの人々が何世代もかけて少しづつ積み重ねていったものです。
実をつけたアンズは収穫され、フンザの女性たちの手によって種を取られ、ザルに干されて乾燥アンズとなります。

フンザの人々
険しい山々に囲まれたフンザは、人が住むのに適しているとは言い難い土地です。しかし、人々は限られた土地を耕し、家畜を飼い、必要なものだけを採るという、非常にシンプルな生活を送っています。

平均寿命が62、3歳というパキスタンにおいて、フンザでは100歳を超える老人は少なくありませんでした。1970年代までは自治王国だったフンザは、特に外部との接触が少なく、食料品も自給自足してきました。
フンザの人々は、パキスタンの他の地域に比べると肉や魚を食べる機会が少なく、菜食を中心として生活しています。また、山に自生している野生のタイム(トゥモロティーと呼ばれます)を煎じて飲む習慣もあります。
人々は自然を当たり前のように敬い、正直で心優しく、旅行者でも気軽に家に招き、心づくしの歓待をしてくれます。こうした、素朴ながらも豊かな風土は世界中の旅行者から愛されています。
フンザの文化
フンザの木工所では2013年まで現地で使われている家具を中心に作っていました。現在はN.HARVESTで扱っている木工品を作っているシャフカット氏がスプーンやフォーク、木べらなどの小物の制作の指導を女性たちに行うことになりました。加工は電気を使わず、ひとつひとつ手作業で行われます。
フンザはイスラームの中でも女性に対する戒律が緩いイスマイリー派に属するため、女性の社会進出が盛んです。農業だけでなく、木工・家具制作や刺繍製品の製作など、手に職をもつ女性は少なくありません。
また、フンザでは障害のある人々はスペシャルパーソンと言われ、尊重されています。彼らのほとんどは仕事に従事し、家族や友人のサポートにより幸せに暮らしています。カーペットの原料であるヤクのウールを洗い、手作業で色分け、紡ぎ、織りをしています。